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10年一昔というけれど

今夜の「僕らの音楽」
ゲストはユーミンだった。

イム・ヒョンジュが、声楽家みたいなモードで
「春よ、こい」を韓国語で歌っている。
その画面の右上に、“「春よ、こい」1994年”とあった。

1994年!?
10年以上も前のことなの!?

1994年の私を思い返してみる。
あの頃見ていた未来も。

歌は昔に思えないのに、
あの頃の私は遙か遠いところにいる。

私は今、全然違う「私」を生きている。
想像もしなかった「今」

「今」がこうなっていることに、
後悔があるわけじゃない。
けれど、たぶん、
あの頃予定していた未来に進んでいたとしても、
やっぱりそれを後悔してはいなかっただろうと思う。

私の何がいいって、今ではないどこかを見て今を呪ったりせず、その場その場でそこを好きになろうと、心地よくしようと思える性格に恵まれたことだ。
楽しみ方を見つけることに、そう時間はかからない。

そうはいっても、置いてきた過去と来るはずだった未来の記憶が消えさるわけでもない。
記憶力はいい方。

幸せな記憶は、積み重なっても一瞬で崩れたり、ゼロにしなきゃいけないこともある。
けれど、痛みはゼロになったりしない。

どんなに転がってもまるくならない小石のように、
私の中に積もって、積もって、
どこかわからなくなるくらい奥底からでも、ふとした拍子に角があたって、その存在を知らせてくる。

そういうおもりがだんだんと
人の足を地つけさせていくのかな、
なんて思ったりもするけど

手にした風船をまだはなせないでいることを、
今はまだ、受け入れておこう。

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Comments

はー・・・・
かさかさしてきたのでココにきてみました。
すごくステキ。

成長、成長、前向き、前向き。
こういうあからさまな言葉に、わたし、どうしても馴染めなくてね。

だけど、necoさんが書いているように、やんわりと。
後半のように、じんわりと。
そんな風に表現してもらえると。
すーっと、納得できる、というか。

こんな風に表現してあげたいの。
痛みを感じた自分にも。そして誰かにも。

Posted by: ゆた。 | Oct 22, 2005 at 04:59 PM

転がって転がって
削れて丸くなるはずが
欠けて角張ってきたようだ

10年の間に色んなとこが欠けて
今の僕の形がここにいるのだが
どうやら周りの人には
その形が面白いらしい

よく見てくれよ
磨かれたとこもあるだろう
ちょっとくらい

転がりながら色んなものを
失っていくけど
一度小さくなっても
転がりながら色んなことを
学んでいけば
さざれ石になれるかな

Posted by: そたろ | Oct 23, 2005 at 02:07 PM

ゆた。さん

前向きとか、そういうの、自分で言い聞かせて前に押し出す時はあるけど、人から言われるとね・・・

真顔で言えるのは、う~ん。
20代前半くらいまではそれくらいがいいかなとは思うけど。

かさかさ・・・しやすいもの想う秋ですね。
美味しいものとか、あったかいものとか、しっとりさせてほしいものです~というわけで、今週もまた神楽坂出没予定です(^^)

Posted by: neco | Oct 25, 2005 at 12:42 AM

そたろさん

そうそう。
ささくれた手だって、いろんなもの引っかけてくれるんだから、欠けてるくらいの方がいろんなものを引き寄せちゃう気がする。
見えなかった景色だって見えるしね。

見た方がいいかどうかは別として、好奇心旺盛さんはそういうの、やめられないんだな。

へんに丸い感じ全面に出してる人がうさんくさく思えるのは、私がひねくれてるからかしら・・・

Posted by: neco | Oct 25, 2005 at 12:49 AM

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