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年の瀬に思うこと

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この画像は内容とはあまりマッチしないんですが季節的に(^_^;)
ネットカードからのもの。可愛いカードが送れます。

asahi.comに掲載される多くのコラムのなかでも、早野透さんの「ポリティカにっぽん」は一番のお気に入り。
彼の論調には共感するところが多いし、政治家について新たな視点を提供してくれたりもする。

12/21付けで掲載された「『ユニセフ最前線』に思うこと」は、民主党の衆院議員、井上和雄さんの著書『ユニセフ最前線-戦争を止めた人間愛』(リベルタ出版 2004)に寄せたもの。印象的ないくつかのエピソードがコラム上でも紹介されている。

年末は募金の時期である。
また、いく1年を振り返り、くる1年に希望を描く年の瀬は、自分のこと、社会のこと、世界のことについて、普段よりも大きな視点から眺めたりできちゃう時期でもある。

新しい1年に、不幸が起こることを期待する人間は普通いないだろう。
みんな幸せになりたい
だったら、誰かの不幸と引きかえでなく、みんなが幸せになれないものか。

例えば握りのトロが隣の席の奴より明らかに小さかったとか、宴会で自分だけ蟹を食いっぱぐれたとか、そんなことで敏感に喜怒哀楽し、微妙に人間不信になったりするくせに、顔が見えない人たちとの間で、遠い遠い国との関係で、どんな風に富が分配されてるのかなんてことにはあまり関心がなかったりする。

自分が幸せじゃないと人に優しくできないけど、自分が幸せなときは人の不幸が見えにくい。
自分に無関係なものに心をわけるのはそう簡単なことじゃない。
逆に、自分が不幸なときは人の幸せは見たくないし、願うことも難しい。むしろ足を引っ張ってやろうとか。
結局他人の幸せなんて、自分が幸せでも不幸でも考えにくいんだろうか。

目的 Goal には2種類あると思う。
達成することに意味があるGoal
掲げ続けることに意味があるGoal

「きれい事言ってもできっこない、そんな甘いもんじゃないよ。」

こういうことを言われちゃうGoalはたいがい後者のタイプ。
そう言われてる人間はたいがい、できっこないって言われなくたってわかっている。

目標と理想の違い。
理想は、できるかできないかじゃなく、そういう「美しい」ものを、心の中に持ち続けられるかどうかが問題で、少しずつでも近づきたいというモティベーションをなくしてしまったら、それでおしまい。
そうなったら、どうやって前に進むのか、私にはわからない。
「負け」てしまった自分は、たぶん後ろ向きにしか物事を見れなくなってしまいそうだ。

「もっと素敵な人間になりたい。」

「もっと」がミソなんだと思う。
例えば私にとってかなり理想的&魅力的な大人の女は余貴美子さん。
「余貴美子さんのように素敵になりたい」は無理だけど、「もっと」をつければ不可能ではない。
「100%余貴美子」は無理でも、5%くらい素敵さを見習うことはできると思うし、そうやって努力してみようと思うこと自体が大切なことだと思うのだ。

なんだかとっても話がズレてきてしまった。
結局年の瀬に、この時期特有の、いつもより清らかめの心で何を思っているかというと、理想や願いを鼻で笑って愚痴ってばかりいる人間であるよりは、一歩ずつでもどう進むかを語る人間でありたいということ。
イベント化したクリスマスはどうかと思うが、でも、少しでも家族や世界の人々との一体感を感じ、いつもより清らかめで優しい心をもてるなら、どんどん荘厳なイルミネーションでも、クリスチャンでもないのにミサっぽいイベントでもしちゃえばいい。

「Goalにたどりつけなかったらすべて無駄になるんじゃないんだよ。そうやって努力するプロセス自体がGoalの一部でもあるんだよ。」

自分の道を探して迷ってばかりいた20代前半の頃、こんな言葉に出会った。
そして、随分救われて、心が自由になった。

ようやく年賀状を印刷しおえ(毎年恒例の干支イラスト、今年はblogにもアップ予定)、年末気分が高まってきた今日この頃、来年こそ、もっと平和で、もっとたくさんの人が幸せに笑える年になりますようにと、そんな風に願っている。
別にきれいごとじゃない。
そういう思いと眼、行動する手足を持った自分でいたいと本気で思っているから。

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Comments

  Goalする為に努力する。理想を守る為に歩き続ける。愚痴るより一歩一歩でも地道に努力する姿勢は、まさに生き方としては正しい生き方だと僕も思います。でも後ろを見ることをすぐに「負け」と決めてしまっている根拠がわかりません。あるいは美しい物をずっと心の中に持ち続ける事はなぜ必要なのですか?
 
 人が生きていく為に必要な事は、何か美しい物を追いかけることではなく、自分がどう生きて行くのかと言うハッキリした目的意識とビジョンを持つ事だと僕は思うのですが。見かけの美しさや形のきれいさではナイト思うのです。・・やっぱり、それはnecoさんの”仕事”のせいなのでしょうか?僕にはちょっと想像つきにくいんですが。海外と日本を行ったりきたり飛び回るような仕事をもってる人はハッキリした自分を持ちにくいんじゃないでしょうか?
 
  necoさんは「負け犬」になりたくないとおっしゃりますが、僕の周りはまさに負け犬ばかりです(笑)。負け犬でない人がいたらお目にかかりたいぐらいです。 老いも若き?もみんな苦悩してもがき苦しんでいるかのようです。僕も新年早々人の不幸を願いたくはない(笑)ですが、どうもnecoさんの言う事を聞いてると、necoさんの生き方そのものが、不幸な人の存在を抜きには考えられない(笑)もののようで。やっぱり清らかでいる、という事と、人の生き方としての理想は別の物だと僕は思います。 ただ”きれいな自分”が主役なのでなく、そこには何か”目的を持ち一生懸命無心で働いている自分”がいる、と理想のような気がします。

 すみません。どうもnecoさんの仕事が見えにくく、振り回されてしまった勘があります。すみません。

Posted by: ハルズ | Dec 23, 2004 at 06:11 AM

ハルズさんぽいコメントありがとうございます。
でも実際のところ、私の文章力の問題と思いますが、ハルズさんが私に言われたことと、私が思っていることはズレてないかと。括弧付きで使われた「美しい」や「負け」は、それぞれ表面的なこととか、人の評価によるものではなく、それぞれの人間が内側に持っているものを思っています。それともハルズさんは何か信じてたり、大切にしてる何かが心になくても生きていけるでしょっていう意見なんでしょうか。だとしたら、私とは違う生き方をされてるんでしょうね。

それと「負け犬」っていうことばの「負け」とは、念のため、全然違いますよ。「負け犬」という用語での「負け」は「負けるが勝ち」の方のニュアンスですから。で、「負け犬」になりたくないとは思ってなかったり。っていうか、すでにそうですから(^_^;)
私が使った「負け」は、よりストレートに言えば自分自身に負けるっていうのかな、挫折してそのまま自分に嘘をついてしまうような、大切にしたかったものを自ら汚してしまうような、そんなことを言いたかったんですけど。人との間の勝ち負けじゃなく、自分のなかでのことについて書きたかったんです。

ハルズさんはバックグランドでその人のことばの意味を探るタイプなんでしょうね。そういうのに関係なく存在できることばを持つ人間になりたいと思っています。仕事の種類によって、生きる上で大切にしてることってなんか導かれるところあるんでしょうか?まあ、どういう仕事を選ぶかっていうのには影響するか。で、希望や理想について語りかけたり(宗教ではない)、それを少しでもこの社会の中で形にしていこうとすることも、私の仕事の範疇であることは確かで、そういう仕事を持てたことを嬉しく思っています。

ハルズさんはどうも私を「浮き足だった人間」のように思っていらっしゃるのかな、と感じるところもあるのですが、とっても地道で、修行僧のような生活が一生続くと思われる仕事ですよ。迷い多き日々なので、年末年始にあたって自分を厳しく叱咤する、そんな文章だったのです。ときどき初心に戻ってモティべーションをリフレッシュしないとってことはないですか?
さて、少しは腑に落ちていただけましたでしょうか。

Posted by: neco | Dec 23, 2004 at 01:20 PM

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